自分のブログに載っているグアム旅行の記録(旅行記と書かずにあえて記録と書いておく)を読んでいる。
2017年の3月。
つまりは今年の3月に弾丸で行ったグアム旅行の記録だ。
2泊3日の旅行、といっても初日は深夜2時着だったので、ほとんど1泊2日のグアム弾丸一人旅。僕にとって初めての海外旅行であり、初めての一人旅だった。
ブログに載せている写真や、文章を見ながらグアムでの思い出や風景、愛想良くしてくれた店員さんの顔が浮かんでくる。
しかし、ふと思う。
こんなにも薄っぺらい旅行だっただろうか。
そう思って、自分のブログを読んでいると、それは旅行記とすら言えず、単なる記録(いや記録にすらなっていないかもしれない駄文)にしか思えなかった。
箇条書きに出来事が書かれているだけであり、その瞬間に思ったことや感じたことがあまりに書かれていない。
僕は本棚に向かい、大好きな旅行記である石田ゆうすけさんの世界一周自転車旅行記や、最近買ったオードリーの若林さんのキューバ旅行記エッセイ(キューバは行きたい国の一つだ)を読み返してみた。
全然違う。
いや、もちろん本として形を成している作品と、駄文とすらいえない稚拙な私の文章が同じわけがない。
しかし同じ道すら歩いていないような錯覚になる。
そして何が違うのだろうと考えてみると、私の文章との一番の違いは、その時に思った事があまりにも無いからだという事に気づいた。
風景を見て感じた事や日本との違い、その場で思った事があまりにも書かれていなかった。
それはあまりにも悲しい。
人は忘れていく生き物だ。
この文章を書いている事すら、いつか私は忘れてしまうだろう。だからこそ、残しておくことに意味がある。
その時に感じた事、思った事、その時の自分を書き上げる必要がある。
グアム旅行の記録を旅行記に格上げする作業に入ろうと思う。